アメリカ人のジェシカさんが書いたニュース記事で、一般的にイギリス英語でゴミを意味する「rubbish」が、2回目に登場した時に、アメリカ英語でゴミを意味する「garbage」に置き換えて使われていました。
ニュースにかぎらず英文では同じ単語が何度も登場するのは語彙が貧弱な悪文に見られるので、よく言葉の置き換えが行われます。日本語でも同様の感覚があります。
つまりこれはイギリス英語とアメリカ英語が1つの文章の中に存在したと考えることができます。
なんとなく、イギリス英語とアメリカ英語を混ぜて使うのはどうなんだろうか? と疑問に思って確認したことがあります。
カナダ人のスティーブの見解
全体的な彼の意見を要約すると「イギリス英語、アメリカ英語」と厳密にラインを引くのは無理があるという話と、各国のネイティブスピーカーは日本人が思うほど意識していないということです。
日本では英語学習サイトなどで「イギリス英語とアメリカ英語の違い」といったように雑学、トリビア的にすっぱりと明確なラインを引いて紹介されますが、ネイティブスピーカーにとっては我々日本人が思うほど、明確なラインを引いていないそうです(特に書き言葉においては)。
ここからはイギリス英語、ここからはアメリカ英語といった感覚の境界が曖昧で、ネットの時代になってイギリス人でもアメリカ英語を話したり書いたりもいっぱいします(逆もあるでしょう)。
このイギリス英語・アメリカ英語の分類は、いろんな国でいろんな言葉が使われているから、この時代では画一的な分類は無理があるとネイティブ達は否定的でした。カナダ人、アメリカ人でも「rubbish」を使う人はいるからですね。
米語と英語の混在
それでも疑問に思ったのは、1つの記事の中でアメリカ英語とされるものや、イギリス英語とされるものが混在しているのはいいのか? みたいな話です。
冒頭の記事はアメリカ人のジェシカさんが書いていて、彼女も意図的に使っているのだろうと思います。
スティーブによれば、例えばエレベーターに関する記事を書いて、何度も「elevator」が登場するならば、言葉をイギリス英語とされる「lift」に入れ替えると思うと言っていました。
まず大前提として、何度も同じ言葉が頻繁に登場するのは、語彙が貧弱であまり良い文章ではないと考えられるという冒頭の文章に行き着きます。
オーストラリア人のクリスの見解
一般的な説明では「rubbishがイギリス英語、garbageがアメリカ英語」という説明がなされます。ゴミをあらわす単語はお国柄が出て、よくイギリス英語とアメリカ英語の違いなどで取り上げられます。
一般的には北米の英語ではgarbage/trashを、イギリス・オーストラリアではrubbishが使われるという説明がなされます。
他にも類義語として以下のようなものがあり、すべて「ゴミ」を表します。
garbage
rubbish
trash
waste
dust
この問題についてカナダ人のスティーブと、オーストラリ人のクリスと話し合っていました。
スティーブの意見では、やっぱり「国籍」によってどの言葉を使うかを分類するのは無理があって、カナダ人でも「rubbish」と表現する人はいっぱいいるし、どこの国が何を使うとか関係ないと思うと意見を述べていました。
ただ「お国柄」みたいな感覚は確かにあって、スティーブは上にあげたリストの中では「dust」がイギリス英語の表現って感じがするといっていました。
ある意味では「傾向」ともいいかえることができ、イギリスの人がよく使う、好んで使う、伝統として使っている言葉や文法は事実として存在します。アプリでも米語と英語の違いはよく取り上げるので、地域差を全否定しているわけではありません。
クリスも意見に賛同してて、どの言葉を使うかは「お母さんによる」という意見でした。その人のお母さんがゴミに対して、どの言葉を使っていたかが大きく影響してるんじゃないと、笑いながら言っていました。
ごみ収集者を意味する「garbage truck」も「rubbish truck」と言い換えも可能です。
またゴミ箱は「waste basket」「rubbish bin」などの表現が一般的です。
ただ国や地域によって、外に置く大きなもの、室内の小さなゴミ場などによって、少し言い方が異なる、使い分けがされるケースもあるようです。
そういうわけで「ゴミ」に対して、どの英単語をあてはめるかは「お母さんによる」という結論になっています。
正しい英語(Correct English)
ずっと前に「正しい英語」ってどこの国の英語と? とスティーブと論争気味になった記憶があります。
彼の意見は、イギリス人はイギリスの英語を話すし、カナダ人はカナダの英語を話すし、どれも正しいと思うといっていました。
ただし、もし「正しい英語」を概念として出さなければ殺すといわれるならば、それは「イギリス英語」ではないかと言っています。理由はそれがオリジナルにあたる(ないしは近い)からです。
これは歴史をたどればアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージランドよりイギリスのほうがオリジナルだからです。
私は「なまり」という日本語の表現が嫌いで、ずっと使ってない言葉です。日本語にすると「◯◯なまり」に正しくないもの、といったニュアンスや、一種の侮蔑のニュアンスが染み込んでいるように思うからです。
そう思うようになってからどこかの国、ノンネイティブの英語であっても「なまり」という表現を意図的に避けています。日本人の英語、カナダ人の英語やアクセントといった言葉を使っています。
特に「イギリスなまり」という表現は、さすがにこの言い方はないなと思うようになりました。Englishという言葉のアイデンティティを根底から覆しそうですね。
そう思うようになった原因は、上に書いたスティーブの「オリジナル発言」が決定的だと、過去を振り返ると思います。
イギリス人のダンの見解
彼もスティーブの意見に賛成で「これはアメリカ英語、これはイギリス英語」と明確に分類するのは20年前には可能だったけど今は無理があるといっています。
英語は一カ国のものではないし、いろいろなものが混ざり合ってグローバルというよりも「クロス・ウエスタン」な英語ができあがっているといいます。
個々の単語は分類すればイギリス人は「リフト」というけど「エレベーター」ともいう。アメリカ人は「エレベーター」といい「リフト」は理解できるけど使わないといった言葉もあります。語彙を混ぜ合わせることも問題がないといいます。
アメリカ人の友達に「リュックサック(米:バックパック)」と言っても伝わらないかもしれません。しかし、リュックサックが間違っているのかといえばそうではないし、アメリカ人の友達が勉強不足なのが悪いかといえば、それもまた違います。
この意味でも彼もまた「正しい英語」は存在しないといっていました。
彼はイギリス人でEnglishというオリジナルの言葉であることは頭では理解し「イギリス英語が正しい」と言いたい気持ちはすごくあるけど、アメリカ人に「イギリス英語が正しい」とはいえないと語っています。
確かに地域性が色濃いものはあります。またBBCのアナウンサーはいまだにReceived Pronunciation, RPと呼ばれる伝統的な発音を守っています。だからといってそれはイギリス人にとって正しいとされるだけであって、別に他の国には他の国の英語があるだろうという話です。
日本語は日本でしか話されていないので、このあたりの感覚ってなかなか理解しにくいですね。