2014年の冬の話になりますが、StudyNowの休暇中に福島第一原発に近づけるだけ近づいてみようとバイクを走らせました。その時のちょっとしたレポートです。
ルートは大阪から仙台に飛行機で行き、そこでレンタルバイクを借りて、海岸沿いの6号線(陸前浜街道)をひたすら南下するシンプルな道のりです。
震災のニュースは大阪から何度も見ていたんですが、どうしてもいつか、この目で何があったのかを見ておきたいと思っていました。
復興を支援したいとか立派な志があるわけでもなく、少し時間もたったので邪魔にならない程度に実際に見たかっただけです。
この記事の目次!
変わっていく景色
東北の寒さは覚悟していたのでヒートテックを上下に着込んでいました。数年ぶりに乗る慣れないバイク、雨が降り出してからかなり寒くなり、何度も引き返そうかと悩みました。
仙台から名取市、岩沼市、相馬市と抜けて、南相馬市を越えたあたりから交通量が明らかに減っていきます。
南相馬市の道の駅から先に開いているお店はほぼありません。以下はときどき停車して撮影したものです。
海が見えないぐらいに海岸から距離があったんですが、折れ曲がったガードレールや廃墟になった建物が生々しく残っていました。
浪江町の交差点
最も印象に残っているのが、たぶん浪江町役場の近くの交差点です。
大きな交差点で角にお店があります。視界にはソフトバンクやドコモ、地元の服屋の大きな看板が入ってくる。
天気は少し回復して、晴れて明るい。寒いけど、けっして悪くない天気。待っていた赤信号が青になる。
特に珍しくもない、どこにでもあるロードサイドの風景です。
けど、誰もいないんですよね。
視界に何1つ動いているものの気配がない、時が止まった異様な世界でした。
本当にこの世界に存在しているのは自分だけじゃないかと思うほど静かで、パラレルワールドや制作途中のゲームの世界に迷い込んだような錯覚がします。
最後の到達地点の看板です。ここで引き返しました。
帰り道は雨にあって、寒さと雨で人生の中でも印象に残る辛い時間でした。
建物を直すこととは別に
震災の復興について「建物を建て直す」という意味で想像がつきます。神戸を見たらよくわかります。
それとはまったく別の次元の問題があります。ニュースを見て頭ではわかっていたことを、実際に見てみるとあらためて感じました。
震災で倒壊した建物を見ると確かに暴力的で迫力があって自然の力の大きさを感じます。
その一方で浪江の交差点で見た怖さはもっと別の種類の静かで冷たい感じのものです。
見慣れた看板が並ぶ日中の交差点を無人にしてしまうほどの見えない力ってとても怖い存在です。
おわりに
何か伝えたい個人的、政治的なメッセージがあるわけではありません。
311の後に自分の中で変わったことは多くはないけど、たまに海外に出た時にはケチらないようになりました。
海外を歩いていると時々、お金を恵んでほしい人や寄付をせがんでくる人に出くわします。
切実な人もいれば寸借詐欺もいるしキリストの教えがついてきたりいろいろ。タクシーの雑談でも日本から来たといえば震災を心配してくれることもあります。
そういう時は自分がだまされてるとか深く考えずに「震災の時はいろいろありがとう」といって払ったり、大目にチップを出したりするようになりました。
ポケットの小銭を渡し、タバコを箱ごと渡し、持っていた予備の缶ビールを渡す。
まあそんなぐらいしかできないし、たいした金額じゃないんですけどね。
これからもそうすると思います。